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 恋思川幹と申します。
 ネット上でこの名前であちこち出没しておりますので、ひょいと覗くと恥ずかしい過去とか、色々転がっております。
 あんまり覗かないでやって下さいませ。
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荻浦嬢瑠璃は敗北しない by元長柾木

2009/01/08 00:11
 
荻浦嬢瑠璃は敗北しない
角川書店
元長 柾木

ユーザレビュー:
異才の少女が、構築さ ...
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 読み終わってみて、仕事帰りの一杯による酔いも手伝ってハイテンションです。
 この作品や、過去に著者の元長氏が携わった「SENCE OFF」や「未来にキスを」などの作品を通して、

何かに触れた!

……などという気分に浸りながら、その実、それを一遍のテキストに起こすこともできない私の浅はかさ!
 元より私がハイテンションになっている、その遥か以前に元長氏は自らの作品について「美少女ゲームへの愛を高らかに謳ったに過ぎない」旨を開陳しているという馬鹿馬鹿しさ。
 そもそも、私が何かに触れたと思っているのは甚だ勘違いなのだ。
 
 今、コンテンツ業界に関わっている会社員という立場を利用して、そんな元長作品への勘違いしたリスペクトを違うジャンルの人々へとぶちまけてみたいが、課長的にはそれは“我々の仕事ではなく、クリエーターの仕事だろう”と考えている…と私はと感じている。
 私自身からして、今の私が目指しているのは自らがクリエーターになることではなく、ヲタケンさんに動画制作を自腹を切って依頼した如き、クリエーターとパトロンの時代の構造を作りたいということだ。
 だが、私の中のクリエーターでありたいという思いを揺り動かした本作は、大きな勘違いも含めて、かつて私が今とは少し違う大望を抱いた時代を掘り返すスコップのようなものであったからなのだろう。

 本作を読んで、久しぶりに気持ちが若返った気がする。
 そして、その認識こそが自分の老いを感じさせたのも確かであるのだ。
 若者が若返ることなどないのであるから。
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見たいものは作ってもらう!

2008/12/26 00:45
というわけで、全裸シリーズで高名なヲタケン様に、このたびムービーの制作をお願いいたしました。
出来上がったのが↓です。



                ,. '"´ ̄ ̄`丶、
                /         丶
              /           ヽ
              l :.          :;. l   なんと・・・なんと言う動画・・・
               l ::. `' ‐ --  --‐ '" :, l   一切の無駄が無く・・・
            /ヽ,' ,.ミ二、‐-‐_二彡、', レヽ  ネタであることすら主張せず・・・
            l久lシ、'=ェ.ェぅ、 ,r'、ェ.ェ=ミッlヘi'l  ただ・・・・・・ただ全裸・・・・・・
            | f,l '"`゙  ゙'´l !`゙   ゙´"l(、,l  良くぞ創ってくださいました
            l J,l   ,rィリ l ミヽ   ,h }l  
             l'ーl   〃゙'^;-;^'ヾ',  ,lーリ  
          _, ィ`"l   i∠ニニヽ,}  ,ト:く  
        , ィ":./::::::::丶 ,l ヾ`二´ソl, ,イi::::::::丶、
    ,. ィ"´: : :ノ::::::::::::::l゙トゝ、    ノ‐'/リ:::::::::::ヽ`丶、
  , ィ" : : : : /{i::::::::::::::::::lヽ ノ7ー一r'{ / /::::::::::::::::ト、: :`丶、
/: : : : : : / :. ll::::::::::::::::::::l丶'"    ` / /:::::::::::::::::::}: ヽ: : : : `丶、
: : : : ::::::::/:::::::::::ll:::::::::::___;l_,L. --- ._,/ /::::::::::::::::::::/::::::丶::::::::: : : :
: ::::::::::::::/:::::::::::::::l:ノY´;:;_,ィ''て);:;:;:;:;:;:;:;` ̄`丶:::::::::/:::::::::::::::::::/:::::::::
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 今回の動画は「毒キノコを食べたヲタケンさんに、あえて松茸を食べてもらうのは面白いだろう」という着想のもと、制作費をお支払して動画制作を依頼しました。

 「見たいものは作ってもらう!」

 利休が長次郎に今焼(楽焼)の茶碗を作らせたように、
自分の欲しいものをその技術に長けているクリエーターに制作してもらうという考え方。
 インターネットがあれば、それは利休の時代よりも圧倒的な低コストで実現すると思っています。
 まあ、私の場合、利休がしたようなプロデュースという要素はあまりないんですけれどね。
 松茸+ヲタケン様、という初期アイデア以外はほぼヲタケン様に丸投げでしたので。

 テレビはもちろんですが、ネットメディアにおいても広告モデルはだんだん辛くなっているようです。
 そんな時代に、誰がクリエーターにお金を払うのか?
 それがすべてになるとは思っていませんが、エンドユーザーが直接見たいものをクリエーターに発注するというあり様はもっと注目されていいのではと考えています。


“タダが当たり前”の時代、コンテンツ産業に起死回生の魔法はあるか

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0812/10/news014.html


「タダが当たり前」の時代は終わる? カフェスタが「お金払って」と呼び掛けた理由
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0812/15/news046.html
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備忘録

2008/11/17 00:14
ものすごく久しぶりの更新をしてみたり。
とりあえず、溜まりに溜まったスパムトラックバックを一掃しました。

さてさて、その更新の内容ですが、どちらかというと個人的な備忘録、ついでに公開してもいいだろうというくらいの内容です。

茶碗

購入日:11月15日
購入場所:ガラス工房 尚 (宮城県仙台市)
作陶:島見美由紀さん

旅行先でギャラリーで入手した茶碗です。
シンプルな形と土の感じの残る手触りが心地よい一品です。
一昨年あたりから、ちらほらと茶道教室に通っておりまして、ギャラリーなんて呼ばれるところに行くとよくこんな買い物をしています。

他にコレクションというほどのものではありませんが、すでに茶碗は5個目の購入だったりします。
 ・慶山焼の茶碗(会津若松城で購入)
 ・米沢焼の茶碗(米沢市で購入。お茶の先生に預けっぱなし)
 ・茶碗(香取神宮参道・和茶房うのにて購入)
 ・矢野孝徳氏の茶碗(「月の工房」にて購入)

っていうか、使ってこその道具ですから、ちゃんと教室に通わないと・・・orz
しばらくお茶の教室に通っていないので、今回を機にまた通いたいと思っています。

いずれは、自分で陶器の特注とかしてみたいものです。
古田織部や千利休の気分になって……ですね。

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家康と北政所の今後が ...
これが聚楽第よーん左 ...
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まあ、私の安月給ではそれを望むべくもないので、
当面は
画像
やらオーダーメイドCOMで、絵師さんにイラストを頼んだりして楽しんでいくことになるかなぁ、と。

そのうち、他の茶碗の写真もアップロードしたいですね。
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原爆投下はしょうがない? ポリアンナ症候群

2007/07/04 23:12
●「ポリアンナ症候群」
 久間前防衛大臣の原爆発言問題が家族で話題になっていた時、母親が言った一言が非常に見識であるな、と感じた。

「ポリアンナ症候群ってのがあってね、例えば虐待されてる子供が『今日は一回しか殴られなくてよかった』とかって『いいこと』を探して辛いのを我慢するんだって」

 なるほど、そういう発想は的を得ているのではないかと感じた。
 ちなみにポリアンナとは、昔のハウス名作劇場で放映された『愛少女ポリアンナ物語』の主人公である。
 大変に不幸な境遇にある少女が「よかったさがし」というポジティブシンキングで乗り越えていく物語だそうである。例えば、「両親が亡くなってしまったけれど、叔母さんに引き取ってもらえてよかった」という具合である。
 これが心理学用語となって、ネガティヴな意味を付加されて、ポリアンナ症候群(または、パレアナ主義)=「自分や他人の悪いところはすべて目を瞑り、良い部分だけしか見ず、すべて良しと自分勝手に納得してしまい、解決しようとしないこと」という意味で使われるようになったとのことである。
 虐待されている子供が「今日は一回しかなぐられなくてよかった」という悲しい言葉も、こうしたネガティヴな意味でのポリアンナ症候群ということになるのだろう。


●久間前防衛相はポリアンナ症候群?
 久間前大臣の言葉を見てみよう。

「(原爆で)本当に無数の人が悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今しょうがないなと思っている」
「(米国は)日本が負けると分かっているのに、あえて原子爆弾を広島と長崎に落とした。そこまでやったら日本も降参し、ソ連の参戦を止めることができるということだった」

 原爆投下は確かに人類史上でも未曾有の悲劇である。
 その悲劇の重圧に対して、「犠牲になった人々の命は何であったのか?」「あの悲劇は何であったのか?」という問いの中で、心の均衡を保つ為に何らかの意義付けをしたいという心のありようは理解できる。
 私自身、『はだしのゲン』であるとか、原爆に関係する書物や映像に触れた時に、これだけ悲惨な出来事には何某かの理由付けがなければ耐え難いことであると感じたものである。
 ポリアンナ流の「いいこと探し」をしなければ、受け止めきれない重圧が原爆投下という悲劇にはあるように思う。
 「戦争を終わらせたからよかった」「ソ連の参戦を防いだからよかった」というのは、確かに「一回しか殴られなくてよかった」というポリアンナ症候群の悲しい発想に似ているのかもしれない。

 久間前防衛相は長崎出身の昭和15年生まれである。
 原爆投下時は5歳であるから、直接的な見聞きはないであろうが、その後に後遺症に苦しむ人に会う、見る機会は多かったのではないかと思われ、私達が知る以上に生々しい体験談なども聞いてきた可能性は十分にある。物心ついてすぐの出来事であるはずだ。
 そう考えると「しょうがない」発言に込められたものは、周囲が批判する以上に久間前防衛相なりの深い想いが隠されていたのかもしれない。


●発言の真意は問われることもなく‥‥
 今回、すでに発言を謝罪し、撤回してしまったが、もっと言葉を尽くして真意を明らかにして欲しかったように思う。
 こういった失言問題の多くは、強烈なパッシングと安易な謝罪の繰り返しによって、発言の真意について問われることもないまま、政争の具として消費される。それは日本の政治の卑小さであると感じるのである。

 問題発言に対してはパッシングではなく、各自の論理を持って議論することこそ民主主義のあると私は考える。
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民法772条問題 あきらめないでっ!

2007/06/25 20:41
  いわゆる「離婚後300日規定」問題の続きです。

 では、それそのものが悪法とは言い難い民法772条の死角に陥ってしまった無戸籍の子供達の救済はいかにして行われるべきなのでしょうか?

 第一に考えられるのは法改正です。
 ただ、どのように法を変えるのか、意見の分かれるところで、772条が悪法であると誤解されがちな昨今、下手に改正を急げば772条の正の面に助けられるはずの人々を不幸にしてしまう可能性があります。
 いずれは改正の必要があるにしても、時間をかけて無戸籍の子供達にだけに焦点を当てた改正は避けるべきでしょう。

 第二に特例措置の連発です。
 無戸籍の子供達を救おうとする運動を支援する団体で目立っているところは、特例措置によって「無戸籍の人間」と「戸籍のある人間」に同じ権利を与えるべきだと主張しているように思われます。
 修学旅行に行けなかった少女の場合は、「戸籍がなくてもパスポートを発給して欲しい」ということでした。
 私としては、あまり法律に特例措置を連発するのは好ましくないと考えていますから、ここでするべきは 「パスポートが発給されるように、戸籍を作れるようにして欲しい」ということだったのではないかと考えています。
 ただ、この少女の場合はこの問題に取り組み始めたのが2007年の元旦であったということで、時間的な猶予はほとんどなかったという事情は斟酌するべきかもしれません。それでも、母親には何らかの努力をする時間が、パスポートの問題だけでも1年半、子供が生まれてから16年もの時間があったわけです。


●それでも諦めるのは、まだ早い!
 テレビの報道を見ていると、印象的に「法改正か、特例措置に頼るしか、無戸籍の子供達が救われる方法はない」と言わんばかり番組構成が非常に多いです。
 NEWS ZEROの放送もそういった作りになっています。

 しかしながら、現行法のもとでも無戸籍の子供達に救済する方法がないわけではありません。
 だから、諦めないで欲しいと訴えていきたいです。

 第三の方法は、現行法のもとでの救済です。
 順を追って見ていきましょう。

1.親子関係不存在確認
 まず、最初にするべきは【親子関係不存在確認調停】、ないし【親子関係不存在確認訴訟】を行うことです。
 この調停、ないし訴訟は民法には規定されていないものですが、過去の判例や人事訴訟法によって規定されているそうです。

 この手続きを経ることで、民法772条の嫡出推定を覆すことができます。
 出生届けを出す前であれば、前夫の戸籍に入ることなく次の手続きを始めることができます。
 無戸籍の子供達は出生届けが受理されていない、出していない状態ですので、ますはこの手続きを始めることで、前夫の戸籍に入る事態は完全に回避されるのです。
 この手続きに基づいて、子供の戸籍を取得している母子は年間1700件にのぼると推定されています。(参照 http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/kyousei_news/20070501ik0c.htm

2.実父の認知手続きを行う
 法律上の父親がいなくなりますので、子供の父親を改めて定めます。
【意思表示による認知(779条)】【認知の訴え(787条)】

3.両親の婚姻と子供の扱い
 実父母が正式に婚姻すれば嫡出子として扱われます。


 もちろん、手続きは煩瑣であり、難しいことも多々あるものと思います。
 ですが、子供が戸籍を持つのは当然の権利で、奪われてよいものではありません。
 子供の幸せを考えるのであれば、少々の困難にもへこたれずに頑張って欲しいと思います。



 最後に実際に頑張った方の記録を紹介します。
「前夫の子じゃない!」 民法772条と戦った悲しい経験
http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000004160

 ご苦労された様子、現行法に対する不満がよく伝わってきます。
 しかし、それでも現行法の中でお子さんの為に最大限の努力をされたこの方は偉いと思います。


 最後にこの問題に関しましては、やはり倫理的、道徳的な観点から婚姻中や離婚後すぐに、夫以外の男性の子供を懐胎する非を責める向きも多いようです。
 ただ今回のエントリでは、その点についてはあえて言及せず、親子関係についてのみ、出来るだけ客観的に意見を述べたつもりです。
 その点はご了承下さい。

 着色する気力が足りなかった・・・_○__(パタ)
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いわゆる「離婚後300日規定」問題

2007/06/25 18:10
 たまには社会で話題になっている問題について扱ってみたりする。(少しはカウンターも早く回るかなとか

 さて、このいわゆる「離婚後300日規定」問題を簡単におさらいしましょう。
 この問題の核となるのが、民法第772条の第2項です。

第772条
1. 妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。
2. 婚姻の成立の日から二百日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から三百日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。


 この300日という規定により、離婚調停中や離婚後に妊娠した「現在の夫の子」が「離婚した前夫の子」として法律上は扱われることになります。
 この規定により、「実父」の戸籍で出生届けを出そうとした実父母が、「前夫の戸籍でなければ、出生届けを受理できない」と役所の窓口で突っぱねられる事態が生じました。

 「実父=現在の夫」と「法律上の父親=離婚した前夫」という、事実と法律の乖離に対する心理的抵抗は、ごく当然のことでありましょう。
 そうした実父母の心理的抵抗から「出生届を提出されずに、戸籍を持たない子供」が生じてしまったのです。

 これがいわゆる「離婚後300日規定」問題なのです。

 現在の日本の行政サービスは戸籍制度に基づいて運用されていますので、戸籍がない子供達は当然ながら当たり前に受けられる行政サービスを受けることが出来ません。
 戸籍がない子供は日本人であれば当然に与えられるはずの戸籍を与えられず、そこから派生して様々な行政サービスが受けられないのです。

 その代表格が「無戸籍なのでパスポートが発行されず、修学旅行に行けなかった少女」です。

●しかし、本当に「離婚後300日規定」だけの問題なのでしょうか?
 この少女の問題に関しては、2ちゃんねるなどでは見るに堪えない罵詈雑言が連なっています。
 私がこの問題を少し重点的に調べるようになったのは、そうした罵詈雑言があまりに酷く、「じゃあ、実際のところ、どうなのか?」という疑問に端を発しています。

 少し調べただけで、この問題に関するマスコミのミスリードが目立っていることに気がつきました。私が気づける程度の問題なので、法律に詳しい人には当然の話なのかもしれません。

 まず、離婚後300日規定問題と定義されていることに疑問が生じます。
日本テレビのNEWS ZEROで取り上げられた際にも
離婚後300日以内に生まれた子供は「前の夫の子供」と見なされます
と、紹介されいます。


ニコニコ動画IDのない方はこちら

 しかし、こちらのニュース映像では「母親が前夫と正式な離婚前に出生」と報道されています。
 支援団体「LEMON+C」のホームページでも「前夫の暴力を恐れるあまり離婚の手続きが遅れました」とあります。

 つまり、この問題は「離婚後300日規定(772条2項)だけの問題ではない」のです。
 この修学旅行に行けなかった少女の場合、母親の離婚前に出生したので戸籍取得の障害となったのは「民法772条1項 妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。」の問題なのです。

 この一連の問題について総括的な名称をつけるのであれば
民法772条問題
とするのが状況に即しているというべきでしょう。
 そして、1項2項を問わずに発生している無戸籍の子供の人権に関する問題なのです。


●民法772条の意義とは?
 では、この民法772条は時代に即さない悪法であるのでしょうか?
 そもそもの772条の意義を確認しますと、第1項はごく当たり前のことを規定しているだけに過ぎず、第2項は女性と子供を守る為の法律として制定されています。

 第1項は「婚姻中の女性が子供を生めば、普通は旦那さんの子供だよね」という常識を名文化したものに過ぎません。
 もちろん、平安時代の昔からそうではない事例はあるわけですが。

 ただ、離婚や再婚が多くなった現代でも、それでも大半の家庭ではそれが当たり前ということで不都合はないと思います。

 第2項については、離婚に伴って実子に対する責任を放棄しよう父親から母子を守るとして制定されたと見るべきでしょう。
あなたとは離婚するけど、お腹の子供はあなたの子供ですから養育費や相続権をお願いします
離婚した後に生まれたんだから、俺の子じゃねーよ! 養育費なんて払えるかっ!
というような自分勝手な男性が横行する可能性は高いのではないでしょうか?
 それでなくても、離婚調停に絡む養育費の支払いに関してはよく揉めるという話を聞きます。

 つまり民法772条には、役所の運用方法や対応しづらいケースの増加という問題はあっても、それそのものが理不尽な法律であるとは言い難く、離婚や再婚が増えたからこそ別の一面では772条によって助けられている母子が大勢いるということなのです。


 長くなったので、記事を分けます。続きへ。
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秋葉原へ

2007/06/13 22:00
 用事があって、秋葉原に行ってきました。
 柳森神社、千葉周作の玄武館、東条一堂の瑤池(ようち)塾の跡を見学、湯島聖堂、湯島天神、不忍池まで足を伸ばしてきました。

 神田川の畔にある柳森神社では、たぬきの狛犬というか、狛たぬき?を見ました。
 立身出世や金運向上にご利益があるそうです。

 千葉周作の玄武館、東条一堂の瑤池塾は幕末の志士達が文武を磨いた場所のひとつです。
 空はビルによって切り取られていますが、それでも幕末の志士達と同じ空を眺めているのかもしれないと想いを馳せるのはロマンですね。
 そんな志士達が駆けていたであろう道場の近くにあるのは‥‥秋葉原かぁ。
 いえ、電化製品やサブカルチャーは世界に通用する日本の商品だと思いますけれどね。
 ちょっと比べてしまうと‥‥ねぇ?

 湯島聖堂は綱吉が建てた孔子廟です。
 江戸幕府は儒教社会と言われ、実際にこうして孔子を祭る場所に昌平坂学問所という官立の最高学府が置かれていました。
 しかし、何かの本で読んだおぼろげな記憶では、かなり既存の儒教に学術的な批判も加えてきたのが日本の儒教「学」であったとも聞きます。既存の儒教の教えの中から「こんな教えを本当に孔子様が言うだろうか?」という疑問を抜き出し、様々な文献や記録と照らし合わせて、そういった疑問が「やはり、この部分は後世に付け加えられたことだ」という結論を導き出すようなことをやっていたとか。
 

 同じ学問に関する神様で、湯島天神の天神様も寄ってきました。
 菅原道真、こと天神様をお祭りしている有名な神社です。
 受験生の味方とも言いますね。

 その後は不忍池に行きました。
 鳥が小魚が食べている様子をのんびりと見ていることが出来ました。
 鷺がひょいと水に首を突き入れると、その嘴にちっちゃな魚が咥えられている。
 人に慣れているせいか、田舎でよりもそういった様子を眺めやすかったような気がします。

 ビルばかりの都会の中にあって、神社などは貴重な自然環境を残しているな、とつくづく感じました。
 ちなみに江戸時代は旗本屋敷、大名屋敷などの庭木で世界でも稀な森林都市であったといわれています。


 まあ、そんなことごとをつれつれと‥‥。
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これから読みたいと思った本『パトロンたちのルネサンス―フィレンツェ美術の舞台裏 』

2007/06/12 00:02
 よくブログのネタで読了した本の感想について書いている記事を見かけます。
 奇を衒ったわけではありませんが、これから読んでみたい本について書いてみようと思います。


『パトロンたちのルネサンス―フィレンツェ美術の舞台裏 』
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4140910836.html

>近代の作品は芸術家の詩情の発露として創作されるが、
>ルネサンス時代の芸術はパトロンが発注するものだった。
(上記サイト、紹介文より一部抜粋)

 例えば、国語の授業で一番習ったものはなんであったでしょうか?
 登場人物の心情であるとか、作者の心情というものを滔々と読み解く授業ではありませんでしたか?
 美術や音楽の授業は主として実技が多かったですが、時に座学があるとすれば、やはり心情であったり、作者の境遇などが取り上げられたことでしょう。
 テレビ番組で、名画や名曲が取り上げられる時も然りです。

 それらが近代以降の「芸術家の詩情の発露として」の「創作」であります。
 文学、音楽、絵画などを問わず、芸術とは芸術家個人の内面の発露であるとする前提があるので、作者の心情や境遇と言ったものが芸術を理解する為の重要な情報として扱われることになるのです。
 それが近代以降の芸術の常識であり、多くの場合に同じ手法をそれ以前の時代に遡って適用していることも多いのです。

 そして、近代以降の、現代の芸術作品からも、この常識から外れた作品が出てくるのではないかと予感しています。
 現に私がWTで書いたシナリオの数々は、自分で書いた作品を芸術と称するのはおこがましい限りでありますが、私の一人の内面からのみ生じたものではなく、参加してくださったプレイヤーさん達のキャラクターとプレイングなしに語ることは出来ません。
 「ルール」と「判定」のあるWTではプレイヤーさんの意図がストレートに反映されるとは限りませんが、OMCとなればかなりダイレクトに発注者さんの意図を反映することが要求されるものと思います。

 まさに、プレイヤーさんというパトロンから発注されるものであり、規模の違いこそあれ、ルネッサンス時代の芸術と同じ構造を持っているのではないでしょうか?
 私はこうした先祖返りは、非常に面白い事象であると考えていますし、これから先の日本の文化史に大きな影響を与えていくものと考えています。(テラネッツがその担い手になるかはさておき、いずれ誰かが同じような事業をやり出すでしょう。私が無知なだけで、もしかしたら、すでに始まっているかもしれません)



>コメント欄
申し訳ありません、気づきませんで。
楽しいイラストが出来上がることを私も期待しています。
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テラネッツのWT7が発表されましたが‥‥

2007/05/13 18:28
 公開されている情報がプレスリリースだけなので、語れることは多くありません。
 ですから、これは私個人の印象のお話です。
 プレスリリースを分析するにです、

テラネッツは背水の陣、不退転の覚悟を決めている

 のではないかと考えています。

 ありていに言って、先行する同業他社のゲームとネタが被っています。
 オカルトとレトロフューチャーの違いこそあれ、よく似た性質のゲームになることが、プレスリリースから感じとれます。
 何の枕詞もない2007年というのは、現代ものではないかと思われます。

のような、昭和82年とかならともかくも‥‥。
 また、「未知生命体によって侵略された」世界であるようですから、「能力者」であることを一般人に悟られてはならない(通報の可能性など)隠密行動が基本となることが推測されます。

 要約すると、現代物で、未知生命体と戦う、特殊な「能力者」の物語‥‥。
 
 この要約だけでは、同業他社ゲームとWT7は区別がつきません。
 かつて、AFOと同業他社ファンタジーゲームは、硬派な歴史ファンタジーとライトノベル風ファンタジーという色分けによって、互いの顧客を奪い合わないように住み分けていたように思います。
 BNOにしても、芸能界という特殊な環境に重点を置くことで同業他社ゲームとは一線を画していました。

 しかし、テラネッツは今、そういった状況を捨てて、まさに真っ向から同業他社の顧客を奪いに行こうという極めて無謀な 強気な攻めの姿勢に入りました。
 すなわち、ゲームの基本的なスタンスが同じである以上、テラネッツが同業他社から顧客を奪い取ることが出来る可能性は、

顧客サービスの充実が全て!!

なのです。
「同じようなゲームするなら、テラネッツのほうがいいよね」
と、お客様に言わしめなければなりません。
 それも先行する作品を追い抜いて!

 それが如何に困難であることかは、一MSに過ぎない私などより、テラネッツのWT運営陣のほうがよく知っているはずです。
 それをあえて挑むというのであれば、テラネッツがWT7にWT事業の命運を賭けていても不思議ではありません!(なんだかんだで大きな会社になってるみたいですので、あえて社運とは言いませんが)

 恋思川はテラネッツの覚悟を応援しています。
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取材に行ってきました

2007/05/04 19:34
 春のポカポカ陽気を利用して、愛車の50ccを噴かしてツーリング兼取材に行ってきました。
 まあ、取材なんて大袈裟なものではありませんが。

 埼玉県坂戸市のにっさい方面から、笛吹峠を越えて、大蔵館、菅谷館、明覚、小川町、松山城などをフラフラと走り回ってきたわけです。


 最初に目指したのが、笛吹峠です。
 新田義貞の三男・義宗が南朝の征夷大将軍である宗良親王を奉じて、小手指原で北朝の足利軍と戦ったが、新田軍は敗北し、撤退を繰り返した。最終的に決着がついたのが、この笛吹峠であったと言われています。
画像

 この笛吹峠は鎌倉街道の一部です。
 この街道沿いで起こった戦いは多く、多くの武士達がこの道を行き来したのでしょう。
 現在は細い舗装道路が走っているだけですが、意外に車の往来は多いようです。
 自分で走ってみた印象ですが、峠といっても概ねまっすぐな道で、勾配もそれほどきつい場所ではありませんでした。
 昔はもっと道は未整備であったことでしょうが、街道と呼ばれるほどですから、当時としては比較的通りやすい道であったのではないかと思われます。すると全体的に急峻という訳ではないので通行が困難な峠ではなかったものと思われます。

 笛吹峠という地名の由来については、二説あります。
 一つは征夷大将軍・坂上田村麻呂が岩殿山の悪龍を退治するのに、笛を吹いて誘き寄せたというもの。
 もう一つは先に記した南北朝時代の戦いで、この峠に陣を置いた宗良親王が月明かりの下で笛を吹いたからというものです。
 どちらにしても、征夷大将軍にまつわるお話というのは面白いですね。あたりには将軍沢という地名であったり、坂上田村麻呂の伝承も残っています。


 笛吹き峠を越えて、しばらく進むとこんな看板を見かけました。
画像

 先に述べた、この辺り一帯の田村麻呂伝承の一つ「縁切り橋」です。

 奥州の叛徒を討つべく都からやってきた田村麻呂は、この辺りで暴れていた悪龍の退治を引き受けます。
 その準備をしている最中に、田村麻呂のことを思うあまり、都から追いかけてきた彼の妻が追いつきました。
 しかし、田村麻呂は「朝廷の命によって出征したのに、妻であるお前がそんな不覚悟でどうしたことか!」と叱り、この場で離縁してしまったのです。
 それ以来、ここにかかる橋は縁切り橋と呼ばれて、土地の人間は新婚夫婦がここを通らないように気をつけているとの話です。

 現代の価値感からすると酷い話と思われる訳ですが、私心を捨てて公務に励むという価値観は現代でも通用するものでしょう。
 で、その縁切り橋はどこにあるのでしょう?
 上の看板を見つけてバイクを止めたのですが、前方に橋らしきものは見えません。
 さりとて、橋を渡った記憶もありません。
 しばらく辺りを探していると‥‥
画像


 これですか(汗)

 続く‥‥。
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殴り保安官 トム・スミス

2007/04/19 02:22
 西部の保安官と言えば、拳銃やライフルで犯罪者を撃ち倒していくイメージがある。
 だがしかし、あえて己の両の拳だけで犯罪者に立ち向かった保安官がいた――。

無法都市アビリーン
 西部劇の代名詞とも言えるカウボーイ達。
 彼らのやっていた仕事の一つに「キャトルドライブ」と呼ばれていたものがある。
 当時のアメリカのテキサス州には、コロンブス以来のヨーロッパ人の入植や戦争の繰り返しの中で、ロングホーンと呼ばれる種類の牛が野生化していた。
 これらのロングホーンを集めて、食肉需要のある地域まで群れを率いていくのが「キャトルドライブ」である。

 カンサス州にある町アビリーン。
 キャトルドライブの終着地(キャトルタウン)として発展した街である。
 テキサスからカウボーイ達に引き連れられてきたロングホーンの群れは、ここから消費地に向けて出荷されていくのである。
 気性の荒いカウボーイ達が集まってくる上に、長旅に疲れた彼らを相手に商売をする商人達(いかがわしい物も含まれる)も集まってくる。急速に発展するアビリーンの街は、同時に急速な治安の悪化も招いたのである。
 アビリーンは当時最悪の無法都市とまで呼ばれるまでにいたる。


鉄腕保安官 トム・スミス 
 そんな恐ろしいアビリーンの街に一人の保安官がやってきた。
 トム・スミス、「ベア・リバー」における騒擾事件で武名を馳せた男である。
 トムはアビリーン市長の要請により、千八百七十年六月四日にアビリーンの市保安官に任命された。
 トムは就任すると同時に、街中における銃器携帯を禁止する法令を出す。
 今日においてもアメリカの銃社会の解体は思うように進まず、悲劇は繰り返され続けている。バージニア大学における悲劇もその一端であろう。
 まして、西部の荒野という法の目、法の網が行き届いていなかった場所で、人々は自分の身を守る為に武装し、その武装故に治安が悪化するという悪循環の中で生きていた時代である。
 そのような状況で、人々から銃を取り上げることが、非常に困難を伴う仕事であったことは想像に難くない。
 だが、武装したカウボーイ達を相手に、トムは自らの両の拳だけを武器に敢然と立ち向かったのである。
 武装解除を拒んだカウボーイには、その鉄拳を容赦なくお見舞いしてやるのが彼の逮捕術である。強力なその鉄拳は屈強なカウボーイ達を次々にノックアウトし、片端から留置所に放り込んでいったという。
 かくして、アビリーンの街には法による秩序が取り戻される。

 拳銃を持った荒くれ者達に素手で立ち向かっていく勇気と、実際に荒くれ者をノックアウトしてしまう腕っぷしの強さ。
 それに加えて、清廉潔白さもトムの魅力として語られる要素である。
 当時のアビリーン市長の懐述によると、教養のあるカトリック信者で、綺麗な言葉遣いをしており、酒やギャンブルには手を出さなかったということだ。

 日本ではあまり知られていない(彼を紹介している日本語のサイトを私は一つしか見つけられなかった)人物であるようだが、なんとも痛快で爽やかな、魅力あふれるキャラクターである。

(参考文献 津神久三『フロンティアの英雄たち』角川選書)

 立場上、あまり多くは語れませんが、あの人がトム・スミスの事を知っていたら、また違ったことになっていたかもと思ったり‥‥。



 冒頭にキャトルドライブの様子が出てきます。
 ヘンリー・フォンダ演じるワイアット・アープとキャシー・ダウンズ演じるクレメタインの淡い恋と有名なOKコラルの決闘を描いた、巨匠ジョン・フォードの傑作。
 猛々しい邦題がつけられていますが、原題の直訳は『愛しのクレメンタイン』です。
 最近の洋画の、タイトルをカタカナ変換しているだけという状況は個人的に好きではありませんが、この作品については原題のほうが好きだったりします。


 邦題が素晴らしい一例。
 ‥‥というか、原題が酷すぎるのでしょうか?
原題『The Barbarian and the Geisha』
直訳『野蛮人とゲイシャ』
 ちなみに私は未見です。
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真昼の決闘/原題「High Noon」

2007/04/17 02:29
格安で名作を見よう♪
 数年前からのことですが、およそ500円前後で販売しているモノクロ時代の名作洋画を書店などで見かけるようになりました。
 西部劇にあれこれ手を出しているうちに、レンタルビデオ店に置いていない作品を捜し求めている状態です。
 西部劇に限らず、このシリーズは割りとお奨めですので、古い作品と侮ることなく、気になるタイトルがありましたら、思い切って手に取ってみてはいかがでしょうか?

 そんな訳で、私が手にとりましたのは、
ゲイリー・クーパー主演の西部劇「真昼の決闘」です。

 * * * * *

 西部の小さな町ハードレービルは、保安官ケーン(ゲイリー・クーパー)の活躍によって、ならず者を追い出し、平和な町として人々は平穏な暮らしを営んでいた。
 ケーンは新妻エイミーとの結婚を機会に保安官の職を辞して、新しい生活を始めようとしていた。
 だが、幸せな結婚式の場に、一通の電報が届く。
 かつてケーンが逮捕し、絞首刑台に送った無法者・ミラーが、減刑されて釈放されたというのだ。
 ミラーの弟と仲間二人が町に姿を現し、ミラー自身も正午の汽車で町に到着するという。ケーンに復讐する為である。
 かつて裁判の席にあって尚、ケーンに復讐すると言ってみせたミラーの凶暴さは街の誰もが知るところであった。
 ケーンの友人達はすぐに町を離れるようにと勧められ、一度は町を離れようとする。

 が、ケーンは保安官として常に悪と戦ってきた硬骨漢であった。
 悪漢ミラーに背を向けて逃走するのは、自分のあり方ではない。
 エイミーが必死に逃げるよう説得するのを振り切って、ケーンは町へと引き返す。

 町に戻ったケーンはミラー一味と対決すべく、仲間を集めて自警団を組織しようと、町の人々に呼びかける。
 しかし、町の人々は勝ち目の薄い保安官に味方することを躊躇する。
 このまま仲間が集まらなければ、4対1で戦いに望まなくてはならない。
 正午まで、すでに一時間を切っていた――


 * * * * *

 4対1。
 映画のヒーローであれば、簡単に撃ち破れそうな逆境です。
 まして、西部劇のガンマンならば、目にも止まらぬ早撃ちとファニング連射で瞬く間に悪党を一掃する‥‥そんなイメージもあるかもしれません。
 もし、そんなヒーローが主人公であれば、町の人々に協力を求めるまでもありません。

 しかし、西部劇というのは必ずしも派手な撃ち合いとヒーローの物語ではありません。
 西部劇を実際に見るようになって強く感じたのが、このことです。
 クーパーの演じる主人公ケーンが腕利きの保安官であることには違いないのですが、4対1で平然と勝利をおさめるような超人でもありません。

 そういう前提において、この映画に望んだ時、
仲間が集まらずに焦燥感に駆られるゲイリー・クーパーの苦悩、
自己保身に走る町の人々が感じている後ろめたさ、
勝利を確信している悪漢達の自信たっぷりの態度
 それらの人間模様がドラマチックに交錯するのです。

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久しぶりに更新してみる/西部劇について少々

2007/03/31 20:50
 おおよそ半年も放置してしまい、もはや訪ねる者もない廃墟のようなブログになっているかもしれませんが、皆様、どのようにお過ごしでしたでしょうか?
 まあ、ちゃんと更新していれば、この鄙のようなブログにも、また人が訪ねるようになることでしょう。
 「ちゃんと更新していれば・・・」ですが(^^A


 さて、ひさしぶりに更新しての話題は「西部劇」です。

 最近、西部劇をよく見ています。
 半年前に見たジョン・スタージェス監督の『OK牧場の決斗』を皮切りに、

・『荒野の用心棒』セルジオ・レオーネ監督、主演・クリント・イーストウッド
・『駅馬車』 ジョン・フォード監督
・『明日に向かって撃て!』 ジョージ・ロイ・ヒル監督
・『荒野の決闘』 ジョン・フォード監督
・『レッド・サン』 テレンス・ヤング監督 主演・三船敏郎(!)
・『真昼の決闘』 フレッド・ジンネマン監督
・『バック・トゥ・ザ・フューチャー3』 ロバート・ゼメキス監督(ちょっと違う?)

 なんてタイトルが並びます。
 他にも見た作品はありますが、これらがとりわけ印象深かった作品です。

 『バック・トゥ・ザ・フューチャー3』自体は子供の頃に何度も繰り返し見た作品で、曲がりなりにも西部劇である作品で見たことがあったのは、ほとんどこれ一つであったかもしれません。
 私の中の西部劇のイメージは、この作品に凝縮されている、それ以前の西部劇のエッセンスから成立していたように思います。

 騎兵隊とネイティブアメリカン(いわゆるインディアン。ネイティブアメリカンは近年の用語である為、作中でもインディアンと呼称)、スィングドアのある酒場、荒くれ者のガンマン、縛り首、保安官、一対一の決闘、列車強盗・・・etc
 
 後はパロディなどを通して知っている西部劇エッセンスくらいで、本格的に西部劇を見聞し始めたのは本当にここ最近のことです。
 私の世代では西部劇のイメージというのは、せいぜいこれくらいだと思います。

 実際にハリウッド製の古い名作西部劇を見てみると、意外なほどに地味であるという印象があります。
 派手に拳銃を撃ち合い、ガンスピンや早撃ち対決が西部劇というイメージがあったから地味と感じたのでしょう。もちろんクライマックスに銃撃戦はもちろんあるのですが、どちらかというと人間ドラマに主軸を置いた作品の方が多いように思います。
 そして、その人間ドラマが面白いのです。
 最近の邦画で例えるならば、近年話題になった『たそがれ清兵衛』『隠し剣・鬼の爪』『武士の一分』などの山田洋次監督の時代劇三部作をイメージしてもらえるとよいでしょう。時代劇と言えば、テレビ時代劇の派手な殺陣のチャンチャンバラバラのイメージが強いですが、山田監督の三部作は派手なチャンバラはぐっと抑えて人間ドラマを主軸に置いた映画に仕上がっています。
 ああいった人間ドラマに主軸をおいた「アメリカの時代劇」が、いわゆる「西部劇」と呼ばれているのでしょう。

 皆様も機会がありましたら、西部劇を一度ご覧になってはいかがでしょうか?
 初めて見るのであれば、お奨めは『OK牧場の決斗』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー3』でしょうか。
 前者は映画は観ていなくても「OK牧場」という言葉くらいは耳にされたことがあると思います。とにかく西部劇のかっこよさが詰まっている作品で、とりわけカーク・ダグラスの演じるドク・ホリディがかっこいいです。部分部分で古臭いところがあるのはご愛嬌ということで・・・。いかにも西部劇といった雰囲気を味わいつつも、漠然としたイメージでしかなかった西部劇と一味違うものも同時に味わえました。
 後者は言うまでもなく、正統派西部劇ではありません。しかし、この作品を見て改めて西部劇というジャンルに興味を持てるか否か、リトマス試験紙のような使い方が出来るのではないでしょうか?



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東イベ12、お疲れ様でした。

2006/10/09 20:52
 遠い昔、前回の更新がちょうど某国ミサイル発射の話題だったのですが、東イベの感想を書こうとキーボードに向かい合った日に、核実験云々というニュースが流れているのは、嫌な偶然です。

 さて、東イベ12ですが、ホストとしての役割を果たせたかは別として(オマチナサイ)、大変楽しい時間を過ごさせて頂きました。
 もっともっと、WTマスターである恋思川と話をしたい、という方々が増えてくれるようにシナリオで魅了していかなくては‥‥と思えてなりません。もちろん、イベントで気さくにトークの相手になれるようにするのも大事なことなのですけれどね。

 二日目の鎌倉オプショナルツアーでは、龍河SDの引率の元、鎌倉観光に行ってまいりました。
 鶴ヶ丘八幡宮、小町通り、江ノ電を使って鎌倉大仏、江ノ電で帰途へ、という簡素な旅程ではありましたが、さすがに古都鎌倉は歩くだけでも楽しませてくれる街であると思います。
 お昼ご飯を食べた老舗(だったそうです)「川古江家」さんはハキハキとした小母さんの店員さん(女将さん?)が心地のよい気分にさせてくれるお店でした。せいろそば、お抹茶とミニあんみつのセットの二品を頼み、美味しいお蕎麦にあんみつ、茶道の先生の点てて下さるものよりは若干苦めのお抹茶を楽しんできました。
 噂の越後屋、山海堂さんで刀剣、兜などを見た後、大仏様参拝いたしました。与謝晶子の歌碑「鎌倉やみほとけなれど釈迦牟尼は美男におわす夏木立かな」というものがありました。個人的には敬虔な信仰心よりも、艶かしさを感じてしまったのですが、いかがでしょうか。

 江ノ電の混雑により、PLさんお二人とともに長谷駅に取り残されてしまうというハプニングを乗り越えて、やっと会場に辿り着きますと、始めて久条巧MSにお会いすることができました。
 久条MS、かっこいい方でしたねぇ。着物を粋に着こなした貫禄のある様子は、ああいう風になりたいと思える一つのスタイルだと思います。
 ちなみに宿泊部屋が同室だったのですが、今年の東イベはイベントホールの閉場時間がなかった為、ずっと会場にいたこともあり、「大御所二人(久条MSと三の字MS)に囲まれて大変だねぇ」と周りに言われたほどの大変さはなかったように思います。


 とまあ、ざっとつれつれと更新でした。
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かくも頑強で、かくも儚い日常

2006/07/05 20:30
 今朝から北朝鮮の弾道ミサイル発射、韓国の日本EEZ内への無断海洋調査、中国による尖閣諸島への侵入・・・・。
 いったい日本はどうなってしまうのか、とでも言いたいばかりの劇的な出来事が立て続けに起きているが、今日も一日お仕事をしてきました。
 ちょっと寝坊したので朝マック、夕方にはなまるうどんに立ち寄ってぶっかけうどんを食べました。
 なんなのでしょうか? 不安な気持ちとは無関係に、腹立たしいほどにいつも通りの日常が強制的に進んでいきます。ミサイル如きでは、とても降りることはできません。
 なんと、日常とは頑強なものであるのでしょうか?

 それでいて、ミサイルが目に見えるところに一発でも飛んでくれば、たちまちのうちに吹き飛んでしまうのですが・・・・。
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恥ずかしい程に更新していませんでしたが・・・

2006/06/26 00:57
 皆様、いかがお過ごしでしたでしょうか?

 先日、友人と飲みに言った折、「少しは自分の文章も書け」という趣旨のことを言われて、少しはブログも更新してみるかと奮起してみました。

 さて、久しぶりの更新で、何を話題にしようかと考えてみました。ちょうど6月、AFOでもジューンブライドのイベントがあったので、「結婚」というテーマについて少しばかり語ってみようかと思います。


 「結婚」には「恋愛」は必要だと思いますか?
 結論を先に言うと、必要ではありません。
 いきなり、浪漫の欠片もないと思われる向きもあるでしょうが、思い起こしてみてください。
 戦国時代の政略結婚は言うに及ばず、お見合い結婚なんてものはほんの数十年前まで当然のことでしたし、恋愛ドラマのクライマックスは「親の決めた相手」から恋人を奪い返すシーンです。
 結婚式場において、「○○家、▽▽家 結婚式場」という看板が出るように、結婚というものは家と家の結びつきという側面があり、往々にしてそこに新郎新婦の意思が反映されないことも多いのです。

 このように「結婚」に「恋愛」は必要なものではありません。
 しかしながら、「恋愛」は「結婚」に必須ではなくとも、あると好ましいとされる要素ではあります。むしろ「恋愛結婚」こそが理想的な結婚の姿であるという価値観も存在します。
 日本の歴史においては、その1ページ目にそんな恋愛結婚が記されています。

 伊耶那岐命(イザナギ)と伊耶那美命(イザナミ)の国産み神話です。
 ここからの話は、正直なところ、学術的な裏づけを取っていない私の感性から思いついた話であることをご容赦下さい。
 国産み神話の詳しい内容は省きますが、イザナギとイザナミは“協力しあって”最初にオノゴロ島を創ります。そして、その島に降り立って二人(正確には二柱の神でしょうか)は天の御柱の周りをぐるりと回って、「あなにやし、えをとめを」「「あなにやしえをとこを」(「なんとよい女性なのでしょう」「なんとよい男性なのでしょう」というお互いへの感嘆です)と呼びかけあい、男女の契りを結んで日本の国土を産んでいきます。
 国産み神話はそのような粗筋ですが、ここで疑問に思われるのが、すでに知り合いであるはずの二人が、わざわざ初対面かであるようにお互いの容姿について「あなにやし」と語っていることです。これは何でしょう?
「男女が自発的に互いを好ましいと思い、結ばれる」
 これはまさに恋愛を再現した儀式ではないでしょうか?
 国を産むという神聖で重大な仕事を担う男女の馴れ初めは、より理想的であることが望ましいはずです。この儀式が恋愛を再現しているとすれば、恋愛結婚は結婚の理想形ということになるのです。



文章への反省
 ・・・国産み神話の説明、もう少し手短に適確に出来るかなぁ?
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織田信長の存在感

2006/05/14 13:55
 最近、友人に薦められて宮下秀樹の『センゴク』を読んでいる。
 非常に独創的な登場人物達は、通説における歴史上の人物達のイメージからはおよそかけ離れている。
 とりわけ、第7巻冒頭の本願寺顕如のはっちゃけっぷりは筆舌に尽くしがたい大爆笑ものである。
 秀吉、光秀、家康、斉藤龍興らの人物も、またそれぞれに脚色が面白い。

 が、そんな中でただ一人、一般的に流布しているイメージそのままに登場している人物がいる。

 織田信長、である。

 非常に個性的に脚色された登場人物の中にあって、一般的なイメージそのままでも十二分にそれらに伍する個性を発揮している信長という人物。
 その存在感には、ただただ圧倒されるばかりである。
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ガンダム読参、カムバアアアアァァァッッック!!!

2006/03/28 00:13
 機動戦士Ζガンダム『星の鼓動は愛』を見てきました。

 最後の方で差し替えられていた台詞。
 あの一言があれば、ガンダム読参で地球連邦軍は勝てる!‥‥かもしれない。

 カミーユの「本当に倒さなくちゃいけないのは、重力に魂を引かれた人間達だろう!」が「本当に倒さなくちゃいけないのは、地球の重さと大きさを理解できないあなた達です」に変わっていたところです。

 富野監督の考え方の変化が反映された部分のように思います。
 けっして、地球連邦を肯定するものではないでしょうが、地球連邦軍の大義名分にもなりますし、エゥーゴの過激な部分の思想に対する牽制にもなる‥‥‥‥我ながら不毛ですね。
 かつての公式掲示板での死闘(なにそれ?)を引きずっているのかも。
 WTで例えるのであれば、非常にささくれ立った雰囲気の相談掲示板‥‥あの場所はそんなところでした。


 『マリみて』、それはガンダムに似ているのかもしれない。
 薔薇ファミリーの姉妹達が専用機や試作機であるとすれば、その他の多くの姉妹達は量産機に相当するのです。
 そう、白薔薇様がガンダム、紅薔薇様がシャア専用機、黄薔薇様がザクレロであるならば、一般スール達はRGM-79GMなのです!

 それはともかく、姉妹(スール)制度の設定は、マリみて世界を大きく広げうるよい設定であると思います。
 「もしも、リリアンの生徒になれたなら、薔薇様になるのは無理でも、素敵なお姉さまと姉妹(スール)になってリリアン生活を楽しめるかも」という、「手の届きそうな部分」である魅力。
 それは「ガンダムは無理でも、GMくらいなら乗れるかも」というGM主義の世界に通じる、作品世界の魅力であるのです。
 作品世界に『自分自身』(あるいはそれに近しい物)を投入することに違和感がない設定。それは主人公達を直接的に自分に置き換えるよりも、一歩上の妄想であるのではないでしょうか?
 例えば、作品の雰囲気的に似ている(というか、マリみてのブームの中でそれに近しい、けれど独自色をきちんと練り上げたのであろう)某作品の舞台である某S女学園(旧K女学園)であった場合、確かに主人公が手に入れる立場というのは非常に魅力的で面白い設定ではあるのですが、いかんせん学年毎にたった一人、しかも三年生の時だけというレア度です。それでいて、一般生徒にまで適用される設定というのはありませんので、どうしても「らしさ」を出す為には主人公の存在が欠かせないでしょう。

 ということで、マリみての舞台設定というものは、薔薇様不在であっても十分に魅力的な物語展開が可能であるのです。
 仮に作者である今野先生が「祐巳の物語」を終わりにしたとしても、「リリアンの物語」は紡げるのです。
 その証左として、マリみてのPBC(プレイ・バイ・チャット)なるものが、散見されることにあります。それらの多くが原則、原作キャラをPCとしての使用はもちろん、NPCとしても登場させずにオリジナルキャラを使用してプレイするというスタイルになっています。

 もしも、マリみての人気が今後何年も維持され続けたならば‥‥あるいはガンダムのように関連作品が原作者の手を離れても作られ続けるという可能性も‥‥‥‥まあ、ゼロではないとだけ。


 エースコンバットゼロを買いました。
 ひたすら、F−1支援戦闘機に乗り続けています。ここまできたら、途中で乗り換えるなんて軟弱なことはしません!!
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旅行の話

2006/03/15 03:49
 と言う訳で、旅行から帰ってきました。
 帰宅して数日経っている辺りが、ブログとしてはみっともないかも?

 旅行そのものは今回も楽しんできました。
 今回の記事は旅行そのものではなくて、旅行から帰ってきた直後に印象的だった出来事をば。


●「笛吹ける?」
 旅行の最終日、一緒に旅行に行った友人の家に宿泊し、旅行中に買った諸々の酒の試飲をすることになりました。
 つまみを(主に友人が)用意していると、友人の家族も帰ってきました。
 その時、友人の妹が、お土産の出雲名産「あご野焼き」を差し出されて、こう言いました。

「なに、ちくわ? 笛吹ける?」

 野焼きの形状から「ちくわ」についてはよいのですが、「笛吹ける」というのは大変ユーモアのある一言だと感心してしまいました。
 人間、皆何かしらこういう独特なセンスというのを持っているのだろうな、と思います。
 そういう何気ない会話の中に見え隠れするものを自然に文章で表現できるとすれば、描写される人間造形も深みを帯びるのでしょうが‥‥。


●記念写真
 私も一緒に行った友人も、いわゆる記念写真というものを撮らない性質でした。
 私達の旅はもっぱら神社への参拝が多いのですが、拝殿を背にして「はい、チーズ!」というのはせずに、ひたすら建築物や景色などを撮影してきました。
 帰宅してから、家族にいくつかの写真を見せていると、
「自分達が写ってる写真が全然ないじゃない」
と母に指摘されました。
「そういうのよりも、景色とか建物とか撮ってるし」
と答えると、母は言いました。
「お祖父ちゃんも北海道旅行に行った時、景色ばっかり撮って帰ってきてたよ。そんなところで似るものだね」
 ここでの「お祖父ちゃん」とは、私が幼い頃に亡くなった父方の祖父(母にとってはお舅さん)であまりはっきりとした記憶はないのですが、こんなところで繋がりを感じられたことに、なんとなしに嬉しい気持ちになりました。

●母方の祖父母
 お土産を持っていったら、とても喜んでくれました。
 でも、大した金額の物じゃないんです。
 だから、「もらってばかりじゃ悪いから」とお小遣いをくれなくても大丈夫だって。
 いや、その金額だとお土産買ってお釣りが来るから〜〜!!

 結局、押し切られてお小遣いを受け取ってしまう私‥‥(遠い目)
 買ってきたのは長寿箸。これからも長生きして下さい。
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出雲辺りまで旅行に行ってきます。

2006/03/05 13:38
 パソコン積んで、ネカフェ宿泊なども視野にいれつつ。
 ではではノシ
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